覚書
正直に書きます。香水のブランドを一から作るのは、大変でした。
思想の話でも、美学の話でもありません。単純に、やることが多く、教えてくれる人がいませんでした。
香りは、何十回も作り直しました。
私は調香師ではないので、自分の手では一滴も混ぜられません。できるのは、言葉にすることだけです。「もっと密度がほしい」「立ち上がりが薄い」——そう伝えて、待つ。届いたものを腕につけて、時計を見ながら、五分、十分、三十分と確かめる。違えば、また言葉にする。その繰り返しでした。
言葉が正確でなければ、香りは近づいてきません。何を作りたいのかを、自分でも分かっていなかった時期があります。
REMA は、はじめから REMA だったわけではありません。
最初に立てたテーマは、もっと単純でした。その人の香りとして記憶されること。肌に寄り添う、清潔で、気づかれない香り。それで十分だと思っていました。
試作が届くたびに、腕につけて確かめました。悪くない。けれど、何かが足りない。その「何か」を言葉にできないまま、また作り直してもらう。番号だけが増えていきました。
足りなかったのは、私自身が香れないことでした。
他人には届いている。けれど、つけている私には、ほとんど何も起きていない。肌の香りとはそういうものだと、業界の言葉はそう言います。むしろ美点として語られます。私は、それを納得できませんでした。
そこで、テーマを書き直しました。最初の三十分は、自分のために。そのあとは、香水であることをやめて、自分の匂いになるまで。一本の中で、二度、顔が変わる。
組み直しは、今も続いています。前半に密度を足せば、後半の顔まで変わる。両立しない条件を渡している自覚はあります。それでも、そこを譲れば REMA ではなくなる。
名前も、途中で変わりました。はじめは、番号で呼んでいました。
瓶には、半年かかりました。
ガラス、キャップ、ポンプ、箱、ラベル。ひとつずつサンプルを取り寄せて、光にかざして、手に持って、また別のものを取り寄せる。届いたガラスが歪んで見えて、これは仕様なのか不良なのか分からず、何日も考えたこともありました。
半年かけて辿り着いたのは、「香水は中身だ」という、ありきたりな結論でした。
誰でも言えることです。けれど、実際に器の見積もりを並べて、値段を計算して、削る場所を探して、それでも中身を削れないと分かるまでは、本当の意味では分かっていませんでした。
容量も、値段も、ずいぶん迷いました。
最初は 15mL で出すつもりでいました。原価から逆算して、その値段で成立する量が、それだけだったからです。けれどそれは私の都合であって、買う人の都合ではありません。30mL にして、値段は変えませんでした。
ニッチフレグランスの顔をしたくて、この値段にしたわけではありません。むしろ逆です。原液を仕入れ、瓶を用意し、詰めて、送る。そこから逆算していくと、どう足掻いても、ここより下には行けませんでした。
利益を大きく取りたいわけではありません。ただ、一本売って次が作れないのなら、それは商売ではなく、ただの持ち出しです。この値段は、次を作るために必要な最低限でした。
安くすれば手に取ってもらいやすい。けれど、安くした分は必ずどこかを削ることになります。削るなら中身しかない。それでは順番が逆です。だから値段は動かさず、代わりに、試せるようにしました。
作りはじめたときの計画は、ほとんど残っていません。
香りの構成も、容量も、値段も、瓶も、コンセプトも。全部、途中で動きました。ブランドの名前を変えようかと、本気で考えた時期もあります。この名前は内容と合っていないのではないか、と。
結局、変えませんでした。動いたのは名前の方ではなく、名前に追いつくまでに時間がかかっただけだと分かったからです。
最初に立てた問いだけが、形を変えながら残りました。
ひとりでやっています。
香りを調合するのは調香師、瓶に詰めるのは充填の会社です。私がやったのは、それ以外の全部でした。コンセプト、問いの立て方、このサイトの構成、どう届けるか。瓶探し、法律の調べもの、送料、値段、写真、この文章。分からないことは、その都度調べました。
相談できる相手は、いませんでした。香水に詳しい知人はいます。けれど、一本を作って世に出すまでに何が起きるのかを知っている人は、周りにひとりもいなかった。
いちばん苦しいのは、判断でした。何が良くて、何が駄目なのか。削れば何を失い、足せば何を壊すのか。誰も答えを持っていません。そして香りの良し悪しは、結局のところ私の鼻でしか測れない。進めるか、やり直すか。そのサインを出せるのも、私だけでした。
だから、嗅いでみてほしいのです。
良いか悪いかを決めるのは、私ではありません。腕につけて、三十分待って、そのあとどう思うか。それだけが答えです。
そして、共犯者を探しています。
試作が届いたとき、私が判断する前に嗅いでくれる人。数人で構いません。むしろ、多くては困ります。人数が増えれば、意見は平均に寄る。平均に寄った香りは、誰の記憶にも残りません。
お願いしたいのは、三つだけです。腕につけて、三十分以上そばに置いておくこと。時間とともに何が変わったかを、自分の言葉で書くこと。そして、駄目だと思ったら、駄目だと言うこと。
褒めていただく必要はありません。気を遣われると、判断の材料になりません。
ひとつだけ、質問があります。
——最近、よくできていると思ったけれど、自分の好みではなかった香水を、ひとつ挙げてください。
好きと、良いは、違います。その二つを分けて話せる方を探しています。
決めるのは、最後まで私です。そこは譲りません。ただ、決める前に、私以外の鼻を通しておきたい。